ハザマランド -2ページ目

分かちの皿

 

 

再訪

 鯉の激流に身を投げた。鱗が千切れた薔薇のように飛び散る。錦の渦で揉まれ潰され、回り続けた目玉をなくなった。
 これで自分も瞳のない鯉だ。一匹ではない一つの流れだ。
 竜になる。
 春秋山荘を飛び出そう。大空でも大地でもどこでも泳いでいける。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

年末年始

2017年12月29日

 小雨の石畳を進み、地獄太夫に逢ってきた。
 ミミズクヤでの百鬼ゆめひな公演。
 二階の座敷は、野ざらしの原になり遊郭の寝床になった。像られた一休宗純と太夫が眼差しで語る。睦み合う。ヒトカタと人の境はあいまいに、静止はなくなった。
 終演を迎えて、店を出る。

 冷える夜空に月が出ていた。仰いでいると、演者手作りの水引き細工を買っていた女性客が横切った。長いスカートの裾がはためいて、太夫の打ち掛けを憶わせた。石畳を去っていく姿に月の明かりが注ぐ。太夫の簪の彩りだ。月を浴びた彼女は振り返らずに夜を帰っていった。

 

2018年1月1日

 元旦に浮かんだ月は 、満月手前の小望月(こもちづき)。別名、幾望(きぼう)。幾は近いという意味らしい。 今年は時期に気を配られたらなと思ふ正月です。

Fall

11月17日
  茎まで染まり散った楓の葉を、細い指がつまみ上げた。滑らかに手首を回して紅い葉をゆぅらりと翻す。泳げ、泳げ、さぁ泳げ。人差し指と親指が離れ、紅葉は再び地に落ちた。と思う寸前に泳いだ。
  術をかけた主を慕うように足元を囲んで泳ぐ。ひと泳ぎするごとに速さが増して、散り広がっていた紅葉を巻き込んでいく。三度回ったところで目で追えなくなった。渦が立ち昇り火柱となった。 
 高い音で指が鳴る。合わせて火柱はほどけ、大量の紅葉が舞った。空が焼ける。熱はなく、冷たい風が葉を撫でる。
 秋が終わり、冬が来る。


10月30日
 磨かれたガラスの中で植物は乾いていた。水気のない身体は頼りなくも美しい。
 伸ばした指を下ろして、カメラを構えた。
 流れた記憶は土と日の光に渡されてほとんど残っていない。末期の水のいらない温室は静穏で、午後のまどろみに満ちている。





10月12日
 夕闇の動物園に建つ小さな観覧車は、眠りにつく生き物と目覚め始めた生き物を入れ替えるように回っていました。





10月1日
 摘んだ彼岸花を金魚鉢に浮かべた。水の中で焔が揺れる。彼岸と此岸が近づく。燃える水面を見上げて赤い金魚が浮上する。
 朧になった境目を抜けても泳ぎ続けた。ひとひらふたひら月へと昇る。舞う尾びれからこぼれた火花は冷たくて、長夜の気配は暖かい。
 戻さねば戻さねば。時計の針を押し戻そう

京都観光掌編 一ヶ所一編3分ガイド

 ガイドブックと掌編の相性はいいんじゃないか?と思っていた。

 観光ガイドを物語仕立てにすれば、その土地の見どころや、ちょっとした歴史が伝わりやすい。登場人物に共感して貰えれば臨場感も出て、より観光を楽しめる。

 手軽に読めるように短い物語がいい。さらに手軽さを求めて、携帯やタブレットで読めるよう電子書籍はどうか。

 企画書を書いて出版社に持ち込んだ。採用された。

 出来上がったのが『京都観光掌編 一ヶ所一編3分ガイド』。

 発売は10月14日。

 Amazonと楽天で予約注文中。ぜひ。

 

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吊れ連れ灯籠

春秋山荘の展覧会

 京都の山裾。空の青と木々の緑の境界に春秋山荘はあった。

 茅葺き屋根の屋内は暗い。傘を被った電球に、窓から入る斜光、壁に行燈がかけられている。三和土に靴を並べて上がった居間は、磨き込まれた板の間でドクロが整い然っていた。屍ではない。茶器が、皿がドクロを模している。

 ドクロを一通り眺めると、奥の部屋へ向かった。左右に二部屋。

 右の部屋は燃えていた。瞳を溶かした錦の鯉が、炭化した少女を囲み泳いでいた。熱くはない。錦の鯉は描いたもので、黒い少女は塗られたものだ。ヒトカタだ。

 左の部屋は止まっていた。土壁や床の間に凭れたヒトカタが、骨になる少女を囲み眠っていた。どれも、だれも、動かない。雪見障子のガラスに写る一体を見た。見つめた。止まったものの反射なら生きてやしないだろうか。

 軒先で南部風鈴が鳴った。我に返った私は春秋山荘を出た。すぐそばを流れる小川のせせらぎに耳を澄ます。山荘にいる間、それはまったく聞こえなかった。

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岩と桜

 

 

花片

 

 

指と唇