抜歯
先日、親知らずを抜いた。
抜いた歯はどこに行くのか歯科助手に尋ねると、一部は歯科医師会などの実習に使われるとの答え。残りは廃棄するらしい。
「持って帰られますか? 」
そう切り返され、せっかくだからと了承すると、受付で薬と一緒にプラスチックの容器を渡された。
容器はもちろん歯の形。嫌味なほど白い。
家に帰り、さっそく偽物の歯から本物の歯を取り出してみる。
これまた可愛い容器とはうらはらに、ブタのひづめを思わせる物体が出てきた。少々、黄色い。
これでは確かに親に知られるのははばかれるような気もする。
さて、どうしたものか? 元は自分の一部。捨てるのも少し気が引ける。
ならば……土に埋めて芽が出るのを待つ。ネックレスにする。すり鉢の棒先に取り付ける。
想像したら気持ち悪くなってきた。
結局、そのまま容器に入れてほっとくことにする。
深夜。かすかな物音で目を覚ます。どうやら例の本物の歯が偽物の歯の中で動き回っているようだ。
電気をつけて容器を開く。
動かない。
ふと思い立ち、黒砂糖をひとかけら容器に入れて、再びベットに入った。
翌朝、容器を開けるとさらさらに砕かれた黒砂糖の中で、ぶたのひづめは満足げに埋もれていた。
一日の歯磨きが三回から四回になった。
団子より花
夜桜を眺めに出掛けた。
提灯や満月にほのかに照らされた桜を、歩調に合わせて愛でていく。
一人で来ているのだ。
足先はおのずと、宴で盛り上がる団体を避け、闇の中へと向かっていく。
しだいに頭上で連なっていた提灯はなくなり、満月だけが唯一の光源となる。
これでは肝心の桜が見えぬと、踵を返そうとした矢先に、一人の少女を発見。
こちらに背を向け、桜の木の下に座り込んでいる。
不気味なことこの上ない。
音を立てぬように、回れ右の体勢に入る。
「死骸を埋めているんだよ」
体勢を整え終わる寸前、声をかけられ、思わず少女の方を振り返ってしまう。
いない。
「ほら、死骸」
息が詰まった。
いつのまにか少女は真横まで来ており、微笑みながら手の平を差し出している。
詰まった息を切れ切れに押し戻し、小さな手の平に視線を移していく。
ぬらぬらとした液体。鼻腔を刺激する匂い。茶色にオレンジ、黒ずんだものまである。
「これは……」
「からあげ。お母さんの手作りだよ」
「なぜ、埋める」
「知らないの? 死骸の埋まった桜は、きれいに、きれいに咲くんだよ」
そう言って笑う少女。
あぁ、ここにも咲いた花が一輪。
- 著者: 梶井 基次郎
- タイトル: 梶井基次郎全集 全1巻
- 著者: 庄子 利男
- タイトル: 日本の夜桜
スナイパー
道中、突然狙撃される。
スナイパーは推定年齢3歳。どうやら彼の右腕は、自由自在に変形できるらしく、小さな右手は現在、ピストルの形状を保っている。
サイボーグなのか。
みようみまねで自らも親指と人差し指を立て、撃ち返してみる。
出た。
しかし、弾丸ではなく水だ。
「まだまだだね」
彼は鼻で笑い、三輪車にまたがると、立ち去っていった。
恐るべし、幼児スナイパー。
猫と温泉
本日は花曇りの中、某温泉街へと足を運んだ。
だだっ広い温泉センターで、様々な浴槽を味わうのもよいが、せっかく温泉で溢れた町を訪れたのだ。
もっと雰囲気のある場所で、湯に浸かろうと右往左往する。
すると、車が一台通れるほどの狭い路地裏の奥に、一軒の温泉施設を見つけた。
近づくと入り口には、鉄さびが浮いた白看板。
大人150円。子供100円。と、かすれた文字で書いてある。
しばらく思案し、戸に手をかけ、横へと滑らす。
「いらっしゃい」とは言われなかった。
変わりに脱衣所に響いたのは、間延びした鳴き声。
「にゃー」
声のした方に顔を向けると、そこには恰幅のよい白猫が一匹。腹が頭の二倍ほどある。
どうやらこの温泉は、見た目とは裏腹に、とても忙しいらしい。猫の手も何とやらというやつだ。
「ごくろうさま」
あいさつを返し、番台に二枚の硬貨を乗せる。
「にゃー」
不思議なものだ。さきほどと同じ鳴き方なのに、今度はきちんと「まいど」と聞こえる。
そのまま眺めていると、白猫は前足で硬貨を引っ掛け、手前に落としてみせた。
ちゃりんちゃりん。
足元に金の入った箱でもあるのだろうか。
背後に音を聞きながら服を脱ぐ。
いいお湯だった。久しぶりの長風呂になった。
風呂から上がると、交代の時間が来たのだろう。白猫はおらず、代わりにこれまた腹が頭の三倍ほどあるおばさんが座っている。
招き猫? あったような。なかったような。のぼせてよく覚えていない。
夢球体
昼、何やら家の外が騒がしい。
窓を開け、辺りを窺うと、子供が道幅いっぱいに列をなして歩いている。
まるで異国の童話を見ているようだが、窓の側にかかっていたカレンダーに目をやり、合点がいく。
子供達はここらへんで一番見晴らしのいい丘へと向かっているのだ。
そこへたどり着くと、眼下に広がる町へ向かって、各々夢を叫ぶ。
欲しいものやら、成りたいもの。
すると、叫ぶのに合わせて、シャボン玉のような球体が出現する。
それらがゆっくりと町まで降りていき、大人達に近づいていく。
ある大人には、シャボン玉の中身が透けて見えるが、別な大人には紫煙を閉じ込めたようにしか見えない。
シャボン玉が割れるのは、中が見えない大人に出合ったときだ。
割れたシャボン玉からは煙が溢れ、大人を包む。包まれた大人は、自分が幼かった頃を鮮明に体感する。
煙が消える頃には、自分が無くしたものを、ほんの少し抱えることができるのだ。
そうして一年を過ごす。
しかし最近は子供が少なく、シャボン玉が行き渡らない。
結果、よくないことも多々起きる。
節目のときなのだろう。
もの思いにふけっていると、風に吹かれてシャボン玉がやってきた。
玉の中では、保育園で子供に囲まれている女性が見える。あちらのシャボン玉には、最近出たばかりのゲーム機だ。
空では布で作られた親子の魚が泳いでいる。
そう、今日は子供の日。
春と夏のハザマ
早朝、薄い霧のかかる竹林の中へと入り込む。
五月の竹はまだ若く、新緑に溢れ、そこから差し込む朝日が霧に溶け込み、いっそう青を拡がらせている。
頭上では微風がそよぎ、細長い枝葉が互いに体を重ねては離れ、再び重なる。
私は一面青景色の中、人の行き来で自然にできた野道を進み、道端に小さな地蔵を見つけると、しゃがんで手を合わした。
地蔵は長い間佇んでいるのだろう。
やわらかで深い緑の苔を全身にまとっている。
細く落とした瞼に、絹糸を流したような微笑み。
何故だか、少し泣きたくなった。
黄金の時
ゴールデンウィーク。
この時期になると、毎年私は不可思議な現象に出くわす。
それが人口密度の急激な変化によるものなのかはわからないが、毎年ふとした瞬間に、拳ほどの穴が目の前に現れるのだ。
中を覗くと溢れかえる人、人、人。
去年は駅のホームで、一昨年はコンサート会場だった。
私はせっかく休みが続いているというのに、疲れる場所へと移動する奇怪な心理を持ち合わせてないので、自室でのんびり彼らを眺めることになる。
彼らにもこちらは見えると思うのだが、あまりの窮屈さや熱狂で、誰もこちらに気づかない。
さて、今年はどこと繋がるのだろうかと、心待ちにしていると空間がゆがみ、穴が開き始めた。
覗いてみるとやはり大勢の人。それに被さるように、絶叫やテンポの早い音楽が聞こえてくる。どうやら今年は遊園地らしい。
しかし、何か様子がおかしい。
視線を感じるのだ。
辺りを見回してみると四、五歳くらいの少年が、一人でこちらを見つめている。
少年は開口一番、私に言った。
「みんな、さびしいねん」
なるほど。どうやら私もその一人らしい。
たんぽぽ
快晴。気分がいいので散歩に出る。
数十分歩いたところで、道端に白いたんぽぽを発見。
一本、手に取り息を吹きかける。
綿毛が次々と舞い、空のかなたへ飛んでいく。
しかし最後の一本だけ、どうしても離れない。
つまんでやろうかと思うが、いやいやそれでは負けだと息を思いきり吸い込む。
と、吐き出す前に綿毛が抜け口の中へと進入。
「……」
確か、たんぽぽの根は長いときで数メートルに達するはずだ。
あわてて口の中へ指をつっこみ、吐き気に耐える。
ようやく出てきた綿毛は根が五センチ伸びていた。
あぶないあぶない。